放送朝礼講話

2月18日(水)放送朝礼講話 担当:マ・スール谷口

 皆様、おはようございます。今朝は宗教科のSr.谷口がEaster(復活祭)に向けてのお話をします。
 キリスト教のカレンダーは大きな2つの出来事を中心にして成り立っています。一つはクリスマスです。教会の暦はクリスマスを迎える待降節から始まることは、皆さまはもうご存じですね。もう一つはEasterですが、このお祝いは移動祝日ですので、今年は4月5日(日曜日)です。そのEasterを待つ間を四旬節と言います。四旬節は復活祭までの40日間、という意味なのですが、数え方は日曜日を除く月曜日から土曜日までの6日を6週間過ごす36日と、あとの4日間は水曜日から土曜日までを加えて40日とします。
 さて、4月5日にお祝いする復活祭から逆算すると今日が、その始まりの日ということで、「灰の水曜日」です。今日行われるミサの中で「回心して、福音を信じなさい」という言葉と共に、神父様から灰を額又は頭につけて頂く場面があります。この意味は、神様のお望みに叶うように生活を振り返る時期の始まりを象徴するしるしです。
 イエス・キリストは福音書に記されている通り、誕生の出来事から裁判にかけられ十字架の死、そして復活する、という生涯を神の意向に沿って生きた方です。誕生の出来事は例えていうなら、救い主を待ち焦がれていた人々への光となった温かい、ほのぼのとする出来事ですが、一方、いわれのない非難を受けて裁判にかけられ、凄惨な死を十字架上で遂げたイエスの姿を想像すると、大変心の痛むことです。イエスの受けた屈辱や痛みに対して、皆様はどのような気持ちになるでしょうか。イエスは当時の人々を愛し、癒しをもたらし、また、人々を励ましてくださった方です。その思いを大事にするなら、四旬節は私たちが、人々に愛を示されたことを思い起こす時なのです。二つのことを申し上げます。
 一つは、イエスの隣人愛に関する教えを思い起こすこと。善きサマリア人のたとえは覚えていますか。彼は誰も差別しませんでした。より苦しい立場に追いやられている人に目を向けて手を差し伸べたことを心に留めましょう。見て見ぬふりをせずに愛の行いを実行するには、勇気と決断がいりますね。一人では大変、と思ったら誰かの協力を得て善いことをすることを忘れないでください。善いことは一人よりも皆で、ということです。
 もう一つは、いわれのない非難を受けて、と先ほど申し上げましたが、この点についても考えましょう。時に、私たちは優位で強い立場に立って人を責め、勝手な想像で決めつけて人を排除するということをしないでしょうか。あるいは、不確かな噂に耳を貸し面白がっている姿は自分ではない、と言い切れるでしょうか。自分が正しい、と人の意見も受け入れず、自分の思いのままになるように仕向けることは赦されることでしょうか。イエスの受難の場面は、ある人は弱さに負けてしまった為に、ある人は皆がそう思っているからと同調して、悪いことをしなかったイエスを死に追いやってしまった、そんな悲しい取り返しのつかない出来事でした。イエスの裁判と十字架刑は人々の自分勝手で無責任な言動が引き起こしたものでした。
 四旬節はいつも以上に、自分自身と共に成長する友人、そして家族、教職員の方々、周囲の方々に愛と尊敬を示すことです。学年の終わりに近づいているからこそ人間関係や口にする言葉に配慮して過ごしてみましょう。完璧な人間の集まりではない、わたしたち。そんな中で、愛にあふれたいたわりの感じられる日常を過ごし、Easterのお祝いを皆で喜び迎えたいと思います。今日も、良い一日をお過ごしください。

関連記事