地震

私たちは、今まで体験したことのない大きな地震におそわれました。
ちょうど、この前のブログ、ニュージーランド地震の募金について書いた、
その直後のことでした。
そのとき私は、職員室におり、そこにいた教員もみんな、机の下にもぐりました。
教室では中学校も高校も午後の授業中でした。
激しい揺れはおさまらず、机の上のものがどんどん床になだれ落ちてきました。
「とうとう来たか」と思いました。
教頭は揺れる中、全校に緊急放送を入れました。

直後の職員室です。
停電になっています。
激しい揺れがおさまり、そしてすぐに余震。
恐ろしい時間が続きました。

 
写真は、避難をする小学生です。
中学・高校では、各クラスで点呼後、家へ徒歩で帰る生徒、迎えを待つ生徒に分かれ、
校内の各場所に待機することになりました。
しばらくして、保護者の方が学校にかけつけました。

地震が起きてから日が落ちるまで、あっという間だった気がします。
家族と連絡が付かない生徒、迎えに来られない生徒は、
学校に宿泊することになりました。


この夜は、約250名の生徒と教職員が宿泊しました。
次々と学校にやってくる保護者の方のお話とラジオの情報から、
次第に災害の様子がわかりはじめました。
この日はとても寒く、外は雪。暖房はありません。
それでも雪がやんだ空には、
今まで見たこともないような星空が広がっていました。
仙台市内の灯りがすべて消えたのを見たのは、初めてのことでした。
生徒達は落ち着いていました。
それでも、家族と連絡がとれないこと、頻繁におこる余震に、
とてつもなく不安な夜だったはずです。

長い夜があけると、外は雪でまっしろです。
夜明け直後から、保護者の方々が迎えにこられました。

それでも、まだ帰れない生徒が70人以上います。
学校では水と軽食を確保しており、
地震当日から、飲み物と食べ物を口にすることができました。


幸いなことに、生徒、教職員とも、大きな怪我はありません。
校内の破損も、大規模のものではありません。
それでも、通常の学校生活を送るには、時間がかかりそうです。


地震から二晩が過ぎ、
学校には21名の生徒が残りました。
そのうち1人は小学生です。
また、函館白百合学園から仙台の大学へ受験に来ていた生徒も、
こちらに身を寄せることになりました。
残った生徒達は、高森の学生寮「紫苑寮」にうつっています。


学校にいた私たちは、無事でした。
しかし、
宮城県内のみならず、考えられないほど多くの方が被害を受けています。
生徒や教職員の家族、知人、卒業生やそのご家族のみなさんの安否も
確かではありません。
大好きなふるさとが、すっかり姿をかえました。

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