放送朝礼講話

7月3日(木)朝礼講話 担当:マ・スール谷口先生

皆様、おはようございます。今日は、すでに聖パウロ週間の説明の冒頭にあった「聖年」についてお話をしたいと思います。2025年は区切りの良い年、25年毎にカトリック教会が祝う聖なる年です。人の一生を考える時「恵みの年」は100年や50年に一度では間隔が空きすぎますので、近年では25年毎に祝います。

さて、聖年の期間中は様々なことが企画されておりますが、良く知られているのは、巡礼です。日常の時間を離れ指定された教会で祈り、自分の歩みを振り返り、そして再び歩み始めるための力を得る良い機会とされています。主な巡礼地としては、ローマの4つの大聖堂です。この扉を通ることが出来るのは、聖年と呼ばれる年だけで、学園の保護の聖人である聖パウロ大聖堂もその一つです。私たちにとってイタリア ローマ ヴァチカンというのは余りにも遠い場所ですが、国内にも指定された教会があります。例えば元寺小路教会はその一つ。広瀬川の殉教地や米川・大籠、といった場所は、禁じられていた時代にキリスト教を信じていた人たちが迫害された場所です。そこで祈りを捧げることが重要なのです。

ところで、研修旅行中の中学3年生も函館の教会や訪問先の修道院、日本に宣教にいらしたマ・スール方の墓前で感謝とこれからの歩みを支えて頂けるようにと祈っていらっしゃいます。皆様も夏の休みにでも機会があれば、旅先の教会を訪問し祈ってみてはいかがでしょうか。

また、今回の聖年は「希望は欺かない」という聖句を掲げています。困難に合う時、人は忍耐によって凌ぐ力がつき、やがて希望への道筋になる、といいます。困難を感じるのは、置かれた環境によって大きく異なりますし、人によっても感じ方や受け止め方が違います。飢え渇き、悲しみを抱えた状況で命の危機に瀕している方々のことを私たちが身近に感じることは、ほぼ無いと言えるでしょう。人は自分を基準にして考えたり行動したりすることがほとんどですので、致し方の無いことではありますが、この恵みの一年を今から申し上げることに心を向けてはいかがでしょうか。

それは、皆様一人一人が、誰かの希望の光になることです。あなたを見て、「ああ、未来は明るいな」と思ってもらえるような行動や立ち居振る舞いです。親切、奉仕、さりげない優しさ、気落ちしている人を勇気づける言葉、そして時にはそっと見守る温かい眼差し…。決して、大げさなことではなく日常生活の中で、出来ることを自分なりに表すことです。

私たちはそれぞれが神様の写しとして神様に似せて、望まれて生まれてきました。誰かと比べて足りないところを見つけては失望したり、思い通りにならないからと拗ねたりひねくれたりしたことはありませんか。命を与えてくださった神様を喜ばせる方法は意外に簡単なことかもしれません。互いに良い所を認め受け入れ、誰かを支え応援する姿勢を身に着けると不思議なことに自分まで幸せを感じることがあります。是非実行してみてください。

皆様が誰かに希望を運ぶ人として生き生きとして輝いていること、これが聖年の掲げる「希望の巡礼者」になる、ということです。

先日の学園記念日で感じたことがあります。それは、心を込めて下さった典礼奉仕者の所作、ミサ中の神父様のことばに大きな声で応答して祈りを捧げてくださったこと、聖歌を美しく歌ってくださったこと、小学生の歌や高校一年生の発表に大きな拍手を送っていた姿。素直な気持ちを表現できる皆様に、私は希望の光を見ました。

暑いですが、今日も良い一日をお過ごしください。

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