【教員コラム〜教員から生徒へ〜】

本校では、毎日放送朝礼が行われます。その中で、月曜日は校長先生から、木曜日は様々な先生方から生徒へのお話がされます。宗教的な内容やその時期にあったお話、生徒へ伝えたいメッセージなど様々です。

【朝礼講話: 2024年5月16日(木)担当:生徒指導部長 多賀郁乃先生

皆さん、おはようございます。明日は中高ともに生徒総会が行われます。生徒総会に先立って、皆さんに考えてほしいことをお話ししたいと思います。

 先週、なんとなく観ていたテレビ番組で、「悪が勝つのは、ひとえに善人が何もしないから」という言葉を耳にし、はっとさせられました。今年2月にロシアの獄中で亡くなったとされるアレクセイ・ナリヌワイ氏の言葉です。プーチン大統領に対立する人物とされていました。少し調べてみると、1700年代のイギリスの政治家・哲学者のエドマンド・バークという人の言葉のようです。

皆さんに考えてほしいのは、「何もしない」ことがもたらす結末です。生徒会は、生徒の皆さんで構成される組織です。よりよい学校生活のために、どのような組織で、どのような活動をしたらよいか、皆さんから集めている会費の使い道も含めて生徒総会で決定していきます。会員である皆さん一人ひとりが、総会で話題にされることに対してよく考えずにとりあえず賛成したり、あるいは無関心でいること-これはよく見かける光景ですが-先程の「善人が何もしない」と同じだと思うのです。学校で戦争は起こっていないので、「悪が勝つ」は「言ったもの勝ち」とでも表現しましょうか。議題案や話題案には、様々な項目が挙げられますが、果たしてそれは大多数の意見なのでしょうか。1%の人が支持する意見が通ることと、99%の人が支持する意見が通ることは全く違うと思いませんか。「何もしない」ことで、望む学校生活と現実のギャップが大きくなり、不満が募っていきます。そして、自分が関わらなかったことは棚に上げ、不満を他人のせいにしてしまいがちです。近年は、個人が尊重されることが強調され、どこかに所属している、という帰属意識が希薄になってきています。「家族の中の私」、「クラスの中の私」、「部活の中の私」、「仙台白百合学園の生徒の私」、コミュニティーの中で役割をもち、お互いに関心を持ち、尊重される中でこそ、話し合うことに意味がうまれ、よりよい方向に進んでいけるのだと思います。

東日本大震災を機に、「私にできること」という言葉をよく見聞きするようになりました。苦しい状況・環境や、そこに置かれている他者に対して使うことが多いと思いますが、皆さん自身に対してはどうでしょうか。皆さんと話していると、「自分に都合のいい状態にしたいから、周りを変えてほしい、私に与えてほしい」という要求が多いように感じます。自分の置かれている環境の中で、「私にできること」を工夫したり、周りの人と協力したりしながら生活環境や気持ちを整えていくことが大切だと思います。

今週の聖句「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」この聖句と出会った当時は、「自分がされて嫌なことは人にはしない」と言われて育ってきた私にとって、ちょっとした衝撃でした。「する」と「しない」を反転させただけの表現に思えますが、行動として全く異なるからです。なんて積極的なメッセージなのだろうと驚きました。明日の生徒総会に臨む態度は、この聖句が示してくれていると思います。皆さん一人ひとりが主役です。有意義な時間となるよう、期待しています。


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